「江戸城再建」を繰り返し公約とする維新の歴史観

明日投開票で、現在東京都知事選が行われている真っ最中ですが、維新の会の歴史音痴がまた露呈しています。

維新の会は今回、熊本県の元副知事の小野たいすけ候補を擁立、選挙戦を行っておりますが、その公約を見ると非常に維新らしい。
 

中でも今回注目した内容が「江戸城再建」公約です。
このコロナ禍の最中に、反省もなくいまだに観光、インバウンド中心にモノを考えているのです。
大阪においてもインバウンドインバウンドずっといって早まった自粛解除をしようしようと前のめりできていますが、そもそもそのインバウンドへの極端なのめりこみが今の危機的状況を作った反省は無いのでしょうか。
アフターコロナ、ポストコロナにおいて、地道な産業育成こそ必要ではないかと考えます。

 

 

さて、この「江戸城再建」公約ですが、維新は今回の都知事選が初めて言い出したことではなく、繰り返し主張しています。
昨年の参院選でも維新の候補者がそれを主張しています。

小野候補は熊本県副知事だったというので、熊本県と言えば、震災で熊本城天守閣が崩壊し、復興のためにみなさんの協力の機運が高まりました。そのイメージをまといたいのかもしれませんが、あまりにも軽薄。そもそも熊本市は政令市なので、復興取り組み判断の主体は市のほうでは?

 

皆さんお気づきでしょうか?
江戸城=皇居
ですよね?

 

松沢しげふみは皇居を廃する気なのでしょうか?それで「維新」を名乗っているの?

江戸城天守閣は、現在の東御苑に当たります。天守閣再建ということは、天皇陛下を見下ろすわけですが、こんな公約見て保守を名乗るかたがたは看過するのですか?

 

そもそもなぜ江戸城に天守閣が無いのか?
それは別に明治維新の大政奉還で潰されたなんて理由ではありません。

1657年、明暦の大火で焼けたためです。
時は4代将軍家綱の時代で、家綱はまだ年若いため、三代将軍家光の異母弟にあたる会津藩主・保科正之が実質的な権力を握っていた時代。
名君・保科正之はあえて反対の声を押し切り、天下泰平の世に不要な天守閣の再建をせず、焼け野原となった江戸の町の復興に予算を使うと英断をしたのです。まさに民のための政治であり、徳政と言うべき名采配。

この歴史を知っていて、このコロナ禍の真っ最中に「江戸城再建」を公約にかかげるのか?
歴史を知らないとしか言いようがありません。

 
 

思えば、大阪においても「大阪城」をめぐり、維新はたびたび歴史観の無さを露呈してきています。
橋下徹が大阪城を作りものとして嘲笑ったのも、市民の浄財で、当時の消防法などいろいろな規制の中再建を果たした経緯を馬鹿にしすぎですが、
大坂の陣400年に際し行われたイベント「大阪城 天下一祭」が最たるものでしょう。

 

大坂の陣、すなわち徳川家康軍により豊臣方が滅び、大阪城が焼け落ちた戦いです。
大阪においては慶事ではありません。

その際、大阪城だけが被害にあうわけもなく、大阪の街は焼け野原となり多くの民が殺され略奪され、大きな被害を被ったのです。

これを、「天下一祭」はなぜか祝祭として取り扱っているのが理解できませんでした。
400年をなぜか祝っているのです。
むしろ慰霊祭を行うべきでは?

実は徳川家康はその後すぐ死去しており、関東では家康公四百年忌として各種イベントが各地で行われました。この差…
こんな維新が大阪の文化を高められるわけがなく、彼らのアイデアといえば、「大阪城のお濠でトライアスロン!」ですよ?


大阪城をなんだと思ってるのだろうか。

 

天下一祭の際の広報物を最後に挙げる。

 

「11月9日~11月15日は、秋の火災予防運動です。“火の用心”をお願いします」ですって。
大阪の街が焼け落ちた、大阪の陣をお祝いしてこのメッセージを付けるセンス…